財団法人しそう森林王国協会から、この山崎文化会館の広報「サンホールやまさきニュース」に掲載中の″郷土の伝説と民話″を集録、『しそうの逸詩』と題した一冊の本にして今春、発刊されることになった。
この本づくりのため平成17年秋から相次いで打ち合わせ会や編集委員会が開かれた。ある日、会議が終わったあとの雑談中、出席のみなさんに「まだサンホールニュースに掲載されていない伝説をお聞きになつたことはありませんか…」と尋ねたところ、宍粟市役所の世良智氏が「一宮町生栖に伝説のある″蛇地蔵さん″がおまつりしてありますよ…」と答えて下さった。「一宮町内の伝説を書きたいなあ…」と思っていた時だったので、さっそく取材をはじめることにした。
冷たい北風が吹き、小雪の舞う寒い日、伝説の現地取材に出かけた。宍粟市山崎町の中心部から車で出発。国道29号線を北進。一宮町安積の揖保川に架かる曲里橋東詰めの信号機のある交差点を右折して同町と但馬を結ぶ県道にはいり、さらに北へ進んで6㌔ほど行くと″いぎすの里″といわれる伝説の地、同町生栖に着いた。山崎町からの所要時間は約30分。
伝説の″蛇地蔵さま″は県道のすぐそばの山すそに建っている古風なお堂の中におまつりしてあった。入口には「三方谷蛇地蔵尊堂」「三方谷八十八ヶ所第十八番霊場」と表示。お堂内の正面には石づくりの四角い台座の上にお座りになった体長70㌢ほどのお地蔵さま6体が、ずらりお並びになり、いずれも真っ赤な前垂れをお掛けになっていた。
お堂の中で元・一宮町文化協会長の庄一幸さんにお出会いし ″蛇地蔵さま″についてのお話を聴かせていただいた。
庄さんは「六地蔵さまを総称して、″蛇地蔵さま″といっています。いまも、お地蔵さまにおまいりする人たちが、あとをたちません。地元の方々が適時、お堂一帯の清掃奉仕作業など続けておられます…」と言っておられた。
地元の人から聴いた話と以前、生栖の方に、いただいた「生栖梶原の蛇地蔵さん」と書かれたプリントを参考に想像もまじえて″蛇地蔵さま″の伝説をつづってみた。
むかし、昔。一宮町生栖地域は、いまよりも、もっと、もっと険しいが、美しい森に、ぐるりを囲まれた山村で、村の人たちは、この豊かな森から生活していくうえでも様々な恵みを受けていた。
しかし、森の中にはシカ、イノシシ、キツネ、タヌキ、クマだけではなく、恐ろしい毒蛇のマムシもたくさん生息していた。村の人たちが森にはいって家の建築材の伐採、食用になる木の実や山菜の採取、薪木づくりなどしているうちマムシに噛まれて長い間、苦しむ人が多く、体調のよくないお年寄りのなかには噛まれたことが原因で生命を落すこともあったとかー。″怖い森″の一面もあったようだ。
何時のころかはっきりしないが、ずうーと昔の初夏のこと。諸国巡礼中のお坊さんが、生栖の地蔵堂近くの道から深い森の狭い山道に向って歩いておられた。たま、たま、その姿を見た村人が、大きな声で「お坊さん、お坊さん、お待ち下さい…」と呼び止め「森の小道にはいられるようですが、森にはマムシが多いので噛まれないよう気を付けて下さい…」「いままでに、数え切れぬほど多くの村人がマムシに噛まれて苦しんでいます…」と声をかけた。
これを聞いたお坊さんは「あの森の中にマムシが、たくさん生息しているのは全く知りませんでした。よく注意して下さいました。噛まれないよう気を付けます…」と感謝。親切なお言葉のお礼として「この地蔵堂におまつりしてある六地蔵さまにお願いして、このあたりに生息する毒蛇マムシを封じ込めましょう…」と言い、長時間にわたって読経。このあとニッコリ笑って森の中へ姿を消された。
その後、不思議なことに森一帯でマムシの出ることが少なくなり、現れても噛みつくことがなくなった。村の人たちは安心して森の中でも仕事が出来るようになったので大喜び。地蔵堂におまつりしてある六地蔵さまを総称して″蛇地蔵さん″と呼び、心をこめてのおまいりを続けてきたという。
それから数年後のこと。封じ込められた毒蛇の子孫だという体長およそ20㌢、体は白色、首に黄色の輪形のある小さなへどが、毎月15日までは六地蔵さまの右から3体のうちの1体から、あとの半月には左から3体のうちの1体から姿を現わし、お地蔵さまの台座にいたり、時にはお堂近くをウロ、ウロ這い回っていたと語り継がれている。
庄さんは「真偽のほどはわかりませんが、地元のお年寄りから、お地蔵さまに毒蛇を封じ込めて下さったお坊さんは弘法大師さまだったと間いたことがあります…」と話して下さったが、一方では佐用町船越山瑠璃寺の住職だったという説もあるとかー。
古い記録から推測すると江戸時代、当時の生栖村の規模は戸数40戸、人口220人前後。田畑30町ほど。明治10年代では戸数60戸、人口280人前後。田畑35町、山林160町ほど。
生栖村は明治22年、下三方村生栖に。昭和31年、一宮町生栖。平成17年4月、宍粟市一宮町生栖になった。同18年1月末現在の戸数は83戸、人口は296人。
(2006年3月掲載:宍粟市山崎文化協会事務局)