(53)山田『田町逆川 眼が治る』

かつて“逆川”が流れていた山田地区南部付近

 このシリーズでは、いままでに宍粟市山崎町内の伝説・民話が23回掲載されたが「まだ、記載しておかねばならぬ伝説・民話があるはず…」と思案。同町内の古老の方々に「何か、いい話はありませんか…」と尋ねたり「山崎郷土会報」を読んだりしていたところ、昭和48年5月発行された同会報42号のなかに同町山田の故・福井詫二さんが書かれた『田町(たまち)逆川(さかがわ)眼が治る』と題する伝説が掲載されていたので、さっそく取材した。
 秋晴れの日。少・青年期の昭和23年まで伝説の地、同町山田地区に居住されていた同町内の総道老人クラブの前会長、柳田弘さん宅を訪問。逆川の伝説にまつわる話を聴かせていただいた。
 柳田さんは「私が山田地区に住んでいたころ、自宅の直ぐ前の道路を隔てた西側に逆川が流れていました。延長およそ60㍍、幅60㌢ほど。両側に石積みの縁(ふち)があり、きれいな水が南から北へ流れている珍らしい小川でした」。「この川の水で目を洗うと眼病が治るという伝説は、子供のころ両親や近所のお年寄りからよく聞きました。小学生だった昭和初年度には小川で目を洗っている人の姿をよく見かけました」など、話して下さった。このあと、ご無理を申しあげ、伝説の現地へ案内していただいた。
 逆川は同町山田地区の南部。道端に寛政九年(1797年)建立と刻み込まれた「因幡街道」の道標の立つ国道29号線と町道との交差点の西詰めから北へ流れていたそうだが、いまは同国道の側溝になり、昔の小川だった面影は全くなくなっていた。ただ一つ、側溝の水が南から北へ流れているのが、かつての小川の名残をとどめているように思えた。
 伝説の題名に同町山田地区のことが″田町″と記載されているのは、むかし同地区が旧山崎の中心街から、ちょっと離れたところにあり、住家が少なく、田んぼが大きく広がっていたので、町の人たちから″田町″と呼ばれていたことから。また″逆川″は、同町付近で一番大きい揖保川が北から南へ流れているのに伝説の小川は、揖保の流れとは反対の南から北へ逆さま流れだったので、″逆川″と言われていたらしい。
 柳田さんから聴かせていただいた話と、故・福井さんが会報に書いておられた伝説を参考に、いつもながら想像もまじえて『田町逆川眼が治る』の語り継ぎをつづってみた。

 むかし、昔のこと。播磨の国を巡礼中のお坊さんが、当時は野原だった山崎町山田地区に差し掛ったとき、患っていた目が急に痛くなった。あわてて道端にしゃがみ苦痛に耐えながら「神様・仏様お助け下さい…」と、心を込めてのお祈りを続けていた。その時、ふと横を見ると、きれいな水の流れる小川があるのに気が付いた。さっそく、両方の手のひらを合わせて清水を掬(すく)いあげ、繰り返し目を洗っていたところ、すう…と痛みがなくなった。お坊さんは痛みから開放されて大喜び。神様・仏様にお礼のお祈りをしながら小川をよく見ると、この近在には滅多にない南から北へ水の流れる逆川だった。
 お坊さんは、その後も元気で、あちこちへの巡礼を続行。目の痛みがなくなったことが嬉しくてたまらず、会う人、会う人に「逆川の水で目が治った」との喜び話を語り続けた。
 この話が、たちまち近在に広まり、それ以来、目の悪い人たちが山田地区の逆川にきて清水で目を洗う姿が、あとをたたなかつた。「とくに名月の夜、この川で目を洗うと効きめが一段とよい」との噂も広がり、仲秋名月の夜には逆川一帯は大勢の人たちで、ごった返し、順番を待って小川の縁にずらり並んで目を洗ったそうだ。その夜、目を洗った人は帰宅するとき決して後ろを振り向くな…という奇習もあって、みんな目を洗つたあとは、一途に家路を急いだという。なお、推測だそうだが、いまから1000年ほど前の平安時代に揖保川で大洪水が発生。同町山田地区へ、どっさり土砂が流れ込んだ。その時、同地区南部に厚く、北部に薄く堆積したため高い南から低い北へ水が流れる逆川になったとか…。
     (2005年11月掲載)