「新春にふさわしい明るい伝説はないかなあー」と、考えていたところ、安富町皆河(みなご)の「千年家(せんねんや)の亀石(かめいし)」のことを思いだした。念のため″亀″のことについて辞書などで調べてみると古来「鶴は千年・亀は万年」と、いわれているように長寿の象徴として長生を祝う目出たい動物と記載されていた。「千年家の亀石」の伝説は新しい年を迎える言い伝えとしては持って来いの題材だと思い、さっそく取材することにした。
好天候だが底冷えのする朝、安富町安志の″ネスパルやすとみ″内の同町教育委員会を訪問。川畑信幸事務局長から千年家にかかわる資料をいただいたあと現地へ。
安志地区から北方へ林田川沿いの県道を6㌔ほど行った同町皆河地区の山すその小高いところに通称「皆河の千年家」と呼ばれる、どっしりとした昔を偲ばせる入り母屋造り、茅茸き屋根、112.54平方㍍の家屋が建っていた。建築年代は明確ではないそうだが、柱の仕上げにハマグリ刃のチョウナが使われていることなど構造技法から室町末期のものと推定され、民家としては全国で一、二を争う古い建築物。昭和42年に国の重要文化財に指定されている。
千年家の前で、同町教育委員会事務局の野中庸光局長補佐にお出あいし同家の屋内を案内していただいた。入り口に向かって右側に厩(うまや)。くど(かまど)のある土間。いろりのある茶の間。納戸。居間などがあり、床の間に伝説にいう大きな亀石が、おまつりしてあった。
川畑事務局長からいただいた資料と同町文化協会の小坂隆雄会長にもらっていた同協会の機関誌「文協あじさい」を参考に、伝説と史実を綴り合わせたうえ、さらに想像をまじえて「千年家の亀石」のことをつづってみた。
おお昔、神代のこと。大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命=が、播磨の国を平定するため多くの供を従えて各地を巡行の途中、同町内の皆河の里で休憩をおとりになった。そのとき、命は小高い丘にあった大きな石に腰掛けられ、里人が汲んできた冷たい湧き水を飲みながら″緑″いっぱいの山々、谷間を縫う清流、点在する民家を眺めながら、お休みになった。ひと時が過ぎて北方へお立ちになる直前お供や里人たちを前に、自分が腰掛けておられた大きな石を指差して『万年無災の亀石』と名付けられたそうだ。
それから、ずーうと後のこと。元文5年(1740年)の冬、千年家近くの民家5戸が全焼。また、安永8年(1779年)の春、同家の下隣家から出火、7戸の民家が焼失し、同家の軒ぱたの竹林が燃え、表戸も焦げる大火事にみまわれたが、この2度の大火災の時、亀石が″ゴオー・ゴオー″と轟音をたてながら、ものすごい勢いで水を噴きあげ、千年家を災難から守ったという。こんなことから里人たちは『無災の亀石』に間違いないと、語り続けたと伝えられている。
また、天正9年(1581年)羽柴秀吉が姫路城を築いた時と慶長5年(1600年)池田輝政がこのお城を改修した時、皆河の千年家が無災の民家という縁起から同家の桷(たるき)を天守閣の用材に加えたそうだし、安志藩陣屋の造営にも故事にならって桷片を棟木に打ち付けたといわれている。
この千年家は昭和45、6両年にわたって大がかりな修理工事が行われ、建築当初の姿に復元。平成12年には町当局により同家周辺が整備され「千年家公園」として、いこいの場になっている。「千年家公園」は年間を通して自由にはいれるが、「千年家」は土曜、日曜、祭日(年末、年始を除く)に公開されている。団体には平日でも公開されるが、予約制になっており事前に同町教青委員会事務局への連絡が必要。
(2005年1月掲載:山崎文化協会事務局)