お正月に発行される『サンホールやまさきニュース』の“郷土の伝説と民話”のシリーズには「新春にふさわしい明るく楽しい伝説を掲載したい」と思い、宍粟市内あちこちのお年寄りの方々に、「なにか、明るい伝説をお聞きになったことはありませんか?」と尋ねていたところ、ある古老の方が、「はっきりしたことは知りませんが、波賀町水谷にイボの治療を叶えてくださる『イボかみさま』が、おまつりしてあるそうです。なんだか、明るい言い伝えがありそうだと思うんですが…」との話をしてくださった。
さっそく、いつもお世話になっている波賀町文化協会の大成みちよ会長に電話。「同町内の水谷に今も『イボかみさま』がおまつりしてあるんでしょうか?」と問い合わせた。しばらくすると大成会長から「水谷在住の地域のことに詳しい方に聞いたんですが『イボかみさま』は今もおまつりしてあります」との返事をいただいた。
いまにも雨が降りそうな年の瀬に近い曇天の朝、同市山崎町の中心部を車で出発。国道29号線を北進して波賀町へ。大成会長宅を訪問して取材の同行を依頼。引き続き車で同町水谷地区へ向かった。同町上野地区の国道29号線の交差点から同町と同市一宮町北部を結ぶ国道429号線に人り、およそ3キロ東進して水谷地区へ着いた。同地区では、地元のことに大変詳しい山村堅太郎さんに、お出会いし『イボかみさま』がおまつりしてあるところへ案内していただいた。
『イボかみさま』は、同地区にあるヤマメ・アマゴ水谷養魚場の直ぐ側の道路近くの山すそにおまつりしてあった。お祠(やしろ)ではなく、高さおよそ2メートル、幅1メートル余の大きな石碑だった。石碑の台石には、直径およそ40センチの窪みのある石が備え付けられ、透き通った水が溜まっていた。
山村さんは「昔からの『イボかみさま』は、ここからちょっと離れた山すそにありました。大きさは、今の石碑の3倍くらい。岩のなかに窪みがあり、いつもきれいな雨水が溜まっており、この水をイボにつけると、すっかりイボが取れたそうです。そこで地元の人たちが話し合い、イボを取ってくださるのは神様の御陰だろうと、この大岩を『イボかみさま』と名づけておまつりしたとのことです。しかし20年ほど前、道路の改修工事が施工されたとき、やむを得ず移動せねばならぬことになり、現在地へ移っていただいておまつりしました」と話されていた。
『イボかみさま』の伝説については、大成会長、山村さんと話し合いをしたうえ、想像をたくましくして次のようなことだったのではないかと考えてつづってみた。
昔、むかしのこと。水谷地区に畑仕事、家事など、よく働く年頃の娘さんが住んでいた。気がやさしく真面目で美人とあって地域の人気ものの一人でした。娘さんは日ごろは極めて平穏な生活をしていたが、ただ一つ辛いことがあった。それは、足の指先にイボができ、急いで歩くとすごく痛むことだった。
ある日の夜、娘さんの夢路に清楚な身なりをした神様が現れ、「娘さんよ、足の指先にイボができ、歩くと痛むので困っているそうだね。いまから私の言うことをよく聞いてイボの取れる治療をしなさい。奥水谷の道ばたに大きな岩がたっており、その岩の中央に窪みがあって、いつもきれいな雨水が溜まっている。その水を指先にできているイボにつけてみなさい。きっとイボがとれますよ。しかし、イボに水をつけたあとは決して振り返らず帰宅しなさい」との託宣があった。
娘さんは、夜の明けるのを待って、神様がおっしゃった通りの大岩のあるところへ行き、岩の窪みに溜まっていた、きれいな水を足の指先のイボにつけ、振り返ることなく急いで帰宅した。そのあと同じことを数日繰り返し続けていたところ、すっかりイボが取れてなくなった。娘さんは大よろこび。このことを家族はもちろんのこと、近所の人たちにも話した。
すると、この話を聞いたイボができて困っている近在の多くの人たちが大岩をたずね、窪みに溜まっている水をイボにつけての治療に励んだためか、「振り返るな…」の約束を守っておれば、だれのイボもすっかり取れていたとのこと。前記したように、こんな有り難い大岩だったので、水谷地区の人たちが相談を重ね、『イボかみさま』としておまつりしたという。
旧波賀町教育委員会から平成3年3月に発行された『ふるさとの文化財』の本の中には『イボかみさま』のことを『イボ石』という題で「昔から水谷部落の人々は、誰かれともなしに“イボが出来るとイボ石のつぼの水をつけるとなおる”と言って、へこんだ石に溜まっていた水をいただきによくお参りしていたそうだ。石をおがんだ後、石が見えないようになるまでは、絶対に後を振り向かずに家まで帰らないといけない。もし後を振り向くとご利益は消えてしまうそうである」(原文のまま)と記載されている。
(平成20年1月:年宍粟市山崎文化協会事務局)