(50)波賀町 『沼谷の大蛇』

伝説の地“沼谷”

 宍粟市波賀町内で、ずうーと前から“沼谷の大蛇伝説”が語り継がれている。大筋では「沼谷に住む大蛇が、村里のきれいな娘に″ひと目ぼれ″。凛凛しい若者に化けて娘さんに近づき、ひと時は大変仲よくなった。しかし、大蛇であることがばれて失恋。ある日、豪雨で氾濫した河川に落ち姿を消したというもの。」
 同町内のあちこちで、この伝説の話を聞いたが、細かい内容についてはマチ・マチ。「わしが話したことと達うやないか…」と、お叱りを受けるかも知れんと思いながら想像をたくましゅうして“沼谷の大蛇伝説”のことをつづってみた。

 昔。むかしのこと。宍粟市波賀町の最奥地、但馬境の近くに“沼谷”という山地があり、そこに“丸太ん棒のような”でっかい大蛇が住んでいた。
 ある夏の、うだるような暑い日。山深い“沼谷”の山地に太鼓や笛の爽やかなメロディーが流れ込み、時折多くの人たちの騒(ざわ)めきも聞こえてきた。
 大蛇は「何事かいなぁ…」と山を下り、茂みに隠れて村里の方を覗いてみた。すると神社の広場で揃いの衣装を着た若者たちが太鼓や笛などの囃子(はやし)に合わせてリズミカルに踊り、それを取り巻く人たちが、喜びの歓声をあげていた。
 大蛇は、思いもかけぬ楽しい催しに見とれているうち、観衆の中に色白で目、鼻だちの整のった、きれいな娘さんを見つけた。素晴らしい美人とあって大蛇は“ひと目ぼれ”。どこの娘かを知りたいため、娘さんが帰途につくのを待って、あとをつけた。しばらく歩いているうち、娘さんは村里で一番大きく立派な家にはいっていった。
 大蛇は、あくる日から、凛凛しい若者に化け、連日といっていいほど娘さんの家付近をウロ・ウロ。およそ1ヵ月後に、やっと顔見知りとなり“おはよう…”“こんにちわ…”と声をかけ合うようになった。そのあと、二人は日を迫うて仲よくなり、若者は、しょっちゅう娘さんの部屋を訪ね、長いこと話し合うことが多くなった。
 娘さんの母親は若者と娘のことが大変、気がかりになり「若者がどこに住んで、どんな人なのかを確かめたい」と思案に思案を重ねたうえ、何年も前から紡ぎためていた長い麻糸を若者の着物に取り付け、若者が帰るのを待って、その糸をたどって行けば住居が判かるのではないかと考えた。
 ある初夏の夕刻。母親は、お菓子を持って娘の部屋にはいり、若者と娘が夢中になって話し合っている隙をみて若者の着物に麻糸を通した針を刺込んだ。若者は麻糸のことを少しも気付かず、しばらくしてから足ぼやに帰っていった。
 母親は、さっそく若者の着物からズル・ズル長く伸びた麻糸をたどって、あとを追った。すると険しい山道を1里半(6㌔)ほど登った“沼谷”の湿地の大きな穴の中に麻糸がはいっていた。
 母親は、麻糸の行方にびっくり仰天。村里へ息せき切って帰り、主人や古老たちに、このことを話した。古老たちは「“沼谷”には大蛇が住んでいると聞いている。娘さんのところへ来ていた若者は大蛇が化けたものに間達いなかろう…」と、声をそろえた。
 母親は、さっそく娘さんと話し合い「お前と仲よくしている若者は大蛇のお化けだと判った。絶対お付き合いをやめなさい」「あなたは一人娘なので、出来るだけ早く村里の好青年を婿にもらい家の跡継をしてくれ」など、心を込めて言い聞かせた。娘さんも若者が大蛇のお化けだったとのことには仰天。母親の意見を全面的に受け入れ、若者との付き合いはしないことを堅く約束した。
 それからは若者が何回、訪ねて来ても娘さんは会おうとせず、そしらん顔。とうとう若者は失恋してしまった。その後、およそ1ヵ月半。秋にはいって間もないころ豪雨が数日続き、村里一帯の河川が大氾濫。大蛇は何かのはずみで激流にのみ込まれ、行方がわからなくなったという。

 4月下旬の好天の日。伝説の地“沼谷”へ行ってみた。宍粟市波賀市民局地域教育課の岡田博行課長を訪ね、いろいろ話を聞かせていただいたあと、同町道谷地区の森下啓二郎さんに案内してもらって“沼谷”へ向かった。同地区から県道、道谷-三方線の土砂道に入り、南東方向へ約2.5㌔行ったところ、去年秋、この地方に来襲した台風の被害で路上に大きな石や土砂が落ちたままだったので、車は通行不能。仕方なくそこから歩いて1.5㌔ほど行くと道路端の緑いっぱいの林地の中に、ぽっかり大きな穴があいたように、だだっ広い草原と湿地が現れた。ここが“沼谷”だった。森下さんは「昔は、ここに大きな沼と湿地があり、伝説にいう大蛇が住んでいたところと聞いています」と話して下さった。
       (2005年5月掲載:山崎文化協会事務局