(34)一宮町『伊和の大清水』と『びくにん水道』

 猛暑つづきで“冷たい水”が恋しかったお盆前のこと。なにか『水』にまつわる伝説がないものか、と考えていたところ一宮町に『伊和の大清水』と『びくにん水道』の言い伝えがあることを思い出した。
 さっそく同町伊和、元同町文化協会長で郷土史に詳しい中村長吉さん宅を訪ね、中村さんから二つの伝説について、いろいろの話を聴かせていただいたあと伝説の地へ案内してもらった。
 『伊和の大清水』の伝説地は同町伊和地区、国道沿いに連なる街並みの西側、田畑の大きく広がる″大清水″と呼ばれる地域の南端部にあった。一方、『びくにん水道』の伝説地は同町須行名、播磨一の宮伊和神社の参道入り口から国道を隔てた直ぐ東側の、かんがい用水路だった。 中村さんから聴いた話と一宮町史を参考に想像もまじえて二つの伝説をつづってみた。

伊和の大清水

 むかし、昔のこと。同町伊和地域の大きな森の中に樹齢500年を超える高さ20余㍍、幹の直径1㍍以上もある榎(えのき)の巨木が天高くそびえ、初夏には淡黄色の花を咲かせるなど近在の村人たちから親しまれていた。ある夏の暑くて寝苦しい夜、村の人たち数人の夢路に清楚な身なりをした神様が現われ『榎の大木の根元を掘り起こしてみなさい。必ず、お宝が出てきます』との啓示があった。数人の村人が同じ夜、同じ夢を見たというので、たちまち大きな話題となった。そこで村の長が中心となって集会を開き「夢」のことについて相談。みんなが力を合わせて榎の根元を掘ることを決めた。あくる朝、多くの村人たちが榎の巨木の周りに集まり、若者が主力になって根元を掘りすすめたところ、すごい勢いで泉が湧き出てきた。とても冷たくて、きれいな、きれいな水だった。作業をしていた村人たちは一斉に歓声をあげて大喜び。神様から授けられた″天与の水″というので、さっそく大きな注連縄を手づくり。榎の幹に巻き付けて、お礼のお祈りをした。その後、湧き水のところに水汲み場が作られ、地元の人たちが代々この湧き水を生活用水として大切に利用し続けてきたという。
 大正時代の初期、榎の巨木は伐り倒され、その後も地域の開発などで、元の水汲み場は西南約十㍍のところへ移された。現在、水汲み場には広さ約8平方㍍の小屋が建てられ、内部は水が汲みやすいようコンクリートで整備されている。湧き水の量は榎の伐採後、半減したそうだがそれでも絶えることなく、こんこんと水汲み場へ流れ込んでおり、いまも近所の人たちが使い続けているとのこと。

湧き水の汲み取り小屋=伊和

びくにん水道

 いまから200余年前、江戸時代の中期のころ、当時の藩主の指導で、同町旧神戸地域一帯で新しい田畑をつくる新田開発がすすめられ、地元住民の積極的な協力もあって幅3㍍余、延長数㌔にわたる、かんがい用水路が出来た。この水路が完工してまもないころ同町須行名地区を流れる水路近くで遊んでいた幼女が誤って水路に落ち、短い命を断った。農家の人たちにとっては大切な水路だが、一人娘を失った母親にとっては地獄の水路になってしまった。嘆き悲しんだ母親は傷心のあまり仏門にはいり「比丘尼(びくに)」の名をいただいて生涯、幼女の霊を弔い続けた。そのうち、だれ言うとなく、この水路を『びくにん水道』と呼ぶようになったという。
       (2002年9月掲載:山崎文化協会事務局)

伝説の『びくにん水道』=須行名=