さわやかな秋晴れの日。千種町で語り継がれている「岩野辺の観音さま」の伝説を取材するため同町役場を訪ねた。庁内で同町の上山明前教育長と、ふるさと振興課の大山美次課長の二人にお目にかかり“観音さま”の伝説地への案内をお願いした。
まず最初は、伝説にいう″観音さま″をおまつりしてある同町岩野辺の福海寺へ。同寺院では池谷真勝住職と、お父さんの同町文化財審議委員の宏長さんとにお出会いした。さっそく宏長さんの先導で本堂横から急坂を登ったところ、スギやケヤキの林立する森の中に “観音さま” をおまつりした古めかしい観音堂があり、お堂の中には灯明がともり、お花が供えられていた。しばらく石灯寵が並んだお堂付近を見てから寺院本堂に引き返し、前記四人の方々から伝説についての話を聴いたり、資料をいただいたり。
このあと千種町岩野辺と波賀町齊木を結ぶ峠の頂上にある昔″観音さま″と “観音さま” が、おまつりしてあった堂屋敷(白雲山・日光寺)跡へ案内してもらった。
この伝説については、いろいろの言い伝えがあるが、上山前教育長ら四人の方々から聴いた話と、大正九年発行された『千種村是』に記載されている伝説を参考に一つの説に絞り込み、想像もまじえて「岩野辺の観音さま」伝説をつづってみた。
むかし、昔のこと。千種町岩野辺と波賀町齊木を結ぶ波加坂峠の頂上のうっそうとした森の中に堂屋敷があった。お堂の中には諸難を救い願いごとを叶えて下さるという″観世音菩薩さま″と病気やケガを癒して下さるという″薬師如来さま″の二体の尊像がおまつりしてあった。
ある時、岩野辺、齊木両地区の村人たちの中から「あんな山深い森の中に、ありがたい尊像をおまつりしているのは不敬に当たるのではないか…」「おまいりするのに曲がりくねった山道を長い時間をかけ、歩いて行くのは不便でかなわん…」などの声が高まった。
そこで、ある好天の日。両地区の村人たちが堂屋敷の前に集まって相談。「岩野辺、齊木両地区が、それぞれ尊像一体ずつを村里にお迎えしておまつりしよう」との意見で一致した。みんな「よかった。よかった」と喜んだのも束の間。「どちらの地区が、どちらの尊像をお迎えするのか…」との話し合いが始まると、双方とも“観世音菩薩さま”の尊像を願望。いずれも主張を譲らず激しい論争が続いた。とうとう日暮れになり、みんながくたびれ果てたころ古老の一人が「あすの朝、一番鶏が鳴いたのを合図に堂屋敷へ早く着いた方が願望の尊像をお迎えすることにしよう」と提案。両地区の村人たちも「それでよい」と納得。夜も深まったころ、やっとのことで話し合いが終わった。
岩野辺地区の村人たちも帰途につき急いで山を下ったが、その途中、空が急に夜明けのようにあかるくなり、道端の大きな岩の上に突然、金色のニワトリが現われて、″コケコーロー。コケコーロー″と声高らかに鳴いた。村人たちは 「こんな不思議なことはない。 “観世音菩薩さま” が岩野辺の里に移るのをお望みになっている仏徳の兆しだ」「一番鶏が鳴いたことにもなる」と大喜び。すぐに堂屋敷へ引き返し “観世音菩薩さま” の尊像を村里にお迎えし、お堂を建てて安置した。この伝説の “観世音菩薩さま” が現在、福海寺、奥の院の観音堂におまつりしてあるという。
一方の伝説によると齊木地区の村人たちは“薬師如来さま”を村里にお迎えすることを望み、岩野辺地区の人たちと「一番鶏」の約束をした翌朝、いち早く堂屋敷にかけつけ “薬師如来さま” の尊像を持ち帰った。この “薬師如来さま” は現在、同地区の安養寺におまつりしてあるとのこと。
(2002年11月掲載:山崎文化協会)