山崎町須賀沢字出石の愛宕山のふもと、揖保川にほど近いところに「篳篥(ひちりき)神社」がある。この神社は、宍粟郡一宮町須行名の播磨一の宮伊和神社の遥拝(ようはい)の社(やしろ)といわれており、雅楽の管楽器の一つ〝篳篥(ひちりき)″にまつわる伝説が語り継がれている。
「播磨鑑」「宍粟郡誌」と地元在住の山本喜教さんの話などを参考に、この神社の 〝篳篥伝説″ をつづってみた。
その一つは、むかし神功皇后が戦勝を祈願するため、伊和神社へ参拝しようと石保郷須加村(現在の須賀沢)まで行啓された。しかし、それから先は雑木とイバラが生い繁り、とても通行出来るような状況ではなかった。そこで、この地で〝篳篥(ひちりき)″〝笙″などによる雅楽を奏でる祭典を催して、伊和神社を遥拝されたことから「 篳篥 (ひちりき)」という社名がついた。
二つ目は、後三條院の延久年間(1070年)から毎年6月15日に皇居が宮廷音楽の楽人を伊和神社に派遣して雅楽を奏して「天下平安」を祈願する祭典が催されていた。ある時、楽人たちが、都から山崎の地まで来たところ、数日来の豪雨のため、揖保川が氾濫して通行が途絶。伊和神社へ行くことが出来なかった。このため、出石の地で雅楽を奏して祭典を催し遥拝することになった。準備を整え、いよいよ雅楽を演奏する直前になって、宮中から 〝篳篥″を持参するのを忘れていたのに気付いた。
「これは大変なことになった。いまさら都まで取りに帰るわけにもいかない」と、楽人たちが途方に暮れていたところ、内陣から〝篳篥″の音が流れてきたので、この音色に合わせて雅楽を奏して、やっと祭典をつとめあげた。このことから社名を「 篳篥 神社」というようになった。
「 篳篥 (ひちりき)神社」の広さは、ざっと千平方㍍。いまは地域の人たちの憩いの場にもなっている。境内には、推定樹齢約300年、幹回りが3㍍以上もあるイチョウの巨木はじめ、カヤ、トチ、モミの大木が生えている。このうちトチは、幹回りが約2㍍で、山崎町南部に生えているものとしては珍しい大木といわれる。
同神社の祭礼は、夏まつりが7月15日、秋まつりが10月10日に催され、秋には子供の〝みこし練り″が繰り広げられる。古老の話によると、古くは12月15日に〝霜月祭″が盛大に催され、境内一帯は、いろいろの品物を売る出店が並んで市が立ち、大いに賑わったという。
(1997年1月掲載)