(21)『お万の滝悲恋物語』

お万の滝

 安富町文化協会の後藤朝雄会長から同町塩野に『お万(まん)の滝悲恋物語』の伝説があると聞き、つゆ空の中、現地を訪ねた。同町中心部安志地区の国道29号線三叉路から南へ約2.5km、大きくカーブしている同町塩野と狭戸両地区の境界付近の南側山ろくに「お万の滝」があった。
 「お万の滝」の表示板が建っている国道ばたから10mほど山にはいった落葉樹林の中に落差6mくらいの滝が落ちていた。生憎(あいにく)、水量が少なく岩膚(はだ)にくっつくように二筋の僅かな流れしか見られなかった。むかしは水量が多く見応えのある滝で、水深が2m以上の大きな滝つぼもあったそうだが、国道の工事で埋められたという。
 後藤会長から伝説についての話を聞き、同町文化協会の機関誌「文協あじさい」に掲載された“古里の伝説”と同町老人会が発行した「伝承安富」を参考に、想像もまじえて、この物語をつづってみた。

 むかし、塩野(しおの)村(安富町塩野)に「お万」という色白で目のばっちりした玉のような美しい娘が住んでいた。親孝行で炊事、洗たく、掃除など家事一切をこなす働きもの。その上、乙女のころ京の都へ奉公にあがっていたので行儀作法が身につき、立ちふるまいに、しとやかさ、うるわしさが加わり一段と色を添えていた。近在の若者たちにとって「お万」は憧れの的。恋こがれるものが多かった。
 隣の狭戸(せばと)村(同町狭戸)には進藤岡右衛門という、すらり背が高く、凛々しい若侍がいた。藩主の命令で、この村に赴任していた役人で、仕事ひと筋に励み、村の人たちからも親しまれていた。趣味は魚釣り。休日に林田川に出かけ釣りをするのを何よりの楽しみにしていた。ある日、好釣場を求めて川沿いの小道を歩きながら塩野村付近に来たとき、足を踏みはずして転倒、河原に落ちて大ケガをした。たまたま、川へ洗たくに来ていた「お万」が、これを見つけ、さっそくケガの手当てをし岡右衛門を狭戸村の居宅まで連れ帰って介抱した。
 若い二人のこと。これが縁で相思相愛の仲となった。人目をしのんで逢瀬を重ね、花を摘んだり、月を眺めて詩を詠んだり、夜おそくまで語りあったり夢のような楽しい日々を過ごしていた。
 ところが、ある日、岡右衛門の親元から“父、危篤”の知らせがあった。岡右衛門は取るものもとりあえず、あわてて帰郷した。父は亡くなり遺言により「おみつ」という娘と結婚。京の都に居住して、再び狭戸村に帰って来ることがなかった。岡右衛門は「お万」のことを心にかけながらも、やむなく遺言に従ったらしい。
 一方、「お万」は岡右衛門の愛を信じ、毎日、指折り数えて狭戸村への帰りを待っていた。ところが風のうわさで岡右衛門が京の都で結婚したことを知った。恋人に裏切られ、世をはかなんだ「お万」は二人が初めて逢った思い出の林田川の渦巻く淵(ふち)に身を投げ、短い一生を終えたという。
 村の人たちは、「お万」の心情を哀れに思い、この淵を“お万淵”その淵へ流れ込む滝を“お万の滝”と呼ぶようになった。
 「お万の滝」から南へ約1.5km、狭戸地区の大歳(おおとし)神社のカヤの大木が林立する境内の片すみに「お万」と岡右衛門の墓が並んで建っている。現世で結ばれなかった二人を、来世では結婚させてやりたいとの願いを込め村の人が建立したのではなかろうか…。二人の墓前には生き生きとした“シキミ”がたてられていた。
          (2000年7月掲載)

ニ人のお墓