(27)安富町『安師姫神』と『林田川原の菜の花』

安師姫神社

 安富町三森の安師姫神社の祭神『安師姫神』にかかわる伝説と同町塩野で語り継がれている『林田川原の菜の花』の話を取材するため、同町三森、元同町長、古川茂さんに連絡。現地への案内をお願いした。古 川さんは「歴史や伝説について、あまり詳しいことは知らんけど、案内だけなら…」と快諾して下さった。
 梅雨の晴れ間の日、古川さんとお出会し、安師姫神社一帯を案内してもらった。同町と夢前町を結ぶ県道のすぐそばに参道入日があり、神社に向って右側に「神社の由来」を記した標碑。左側には「安師姫神社」の文字を刻み込んだ大きな石碑が建っていた。鳥居をくぐり、古い石積みの間を通る百段近い石段を登ると、樹林に囲まれた威厳の本殿があった。
 このあと、同町塩野地区へ行き、植塩橋から林田川原を眺めたが、花の終わった菜っ葉の“緑”でうずまっていた。

 同町老人会が昭和63年に発行した「伝承安富」を参考に、想像もまじえて二つの伝説をつづってみた。

安師姫神

 むかし昔。宍禾郡(しさわのこおり)・安師(あなじ)の里(現、安富町内)に安師姫という大変きれいな女神が住んでおられた。伊和の里(現、一宮町内)を拠点に活躍されていた伊和大神(いわのおおかみ)が播磨の国の平定のため巡歴の途中、安師の里へ立ち寄られたが、その時、美しい安師姫神を見て、ひと目ぼれ。大神は何回も「私の妻になってくれ」と申し込まれた。しかし、安師姫神は、なかなか色よい返事をされず、ついに求婚を拒絶された。怒り心頭に発した大神は、安師の里を縦買して流れる安師川(林田川上流)の水源を石を積んで塞(ふさ)ぎ、三方の里(現、一宮町)の方へ流れるようにしてしまわれた。それ以来、林田川の水が少なくなったという。
      (2001年7月掲載)

林田川原の菜の花

塩野の林田川原

 ずーうと昔のこと。塩野地区が大変な干ばつに見舞われ、長い間、飲み水にも事欠く日が続いた。そんなある日、見すぼらしいお坊さんが、とある農家を訪ねた。出てきたおばあさんに「水をいっぱい飲ませていただけませんかー」と声をかけた。疲れ切った表情のお坊さんを見た、おばあさんはびっくり。家族にとっては大切な水だったが、さっそく大きな湯呑に、なみなみと水を入れて差しあげた。お坊さんは、いっ気に水を飲み干し、ひと息入れたあと「大切なお水をありがとう。“他人に飲ませる水などない”と、ことわられるのではないか…と心配していました」と、心よく水を飲ませてくれたおぱあさんに、何回もお礼を言われた。このお坊さん、実は諸国巡礼中の弘法大師さまだった。
 弘法さまは、縁先でしばらく休み、次の旅に出かけられたが、その時「他人を大切にする豊かな心は大変美しい。お礼に飢饉(ききん)になっても食物に困らないよう塩野の林田川原に毎年“からし菜”が生えるようにしてあげよう」と、言われた。
 それ以来、毎年、河原いっぱいに“からし菜”が生え、近在の人たちは、これを採取して煮たり、漬物にして食べたが、とくに飢饉のときには、この“からし菜”で飢えをしのいだと伝えられている。

 春には川原いっぱいに黄色の菜の花が咲き、美しい風景を描き出す。
      (2001年7月掲載)