平成3年、当時の波賀町農業協同組合が発行した波賀八幡神社の小林盛三宮司の著による「ふるさとの伝説」の本を読んだ。その中の引原八幡神社の項に「道貞物語(どうていものがたり)」と題して小兵(こひょう)の道貞が大柄の力士を投げとばすという、ちょっぴり胸のすくような奉納相撲の伝説が記載されていた。楽しそうな伝説なので、さっそく取材することにした。
さわやかな秋晴れの日、波賀町教育委員会の岡田博行生涯学習課長を訪ね、取材の協力をお願いして引原八幡神社へ向った。音水湖沿いの国道を北進、まもなく同町引原字高山に到着。国道から急坂を登るとスギ林の中に同神社があった。
神社参道で、この地域の昔のことに詳しい地元の田村角太郎さん(85)にお出会いし、神社内を案内していただいた。威厳のある本殿はじめ随神門。近在では珍しいといわれる神仏混合時代の名残をとどめる阿弥陀堂などが建っていた。この神社のご祭神は古くから旧引原地区中心部の広大な森の中におまつりしてあったが昭和三十年、引原ダム建設工事のため、この地に遷座なさったとのこと。近くの田村さん宅に立ち寄り道貞のことや昔のお祭り行事のことなど聴いた。
このあと同町安賀の特別養護老人ホーム「かえで園」を訪ね、たまたま同園に来ておられた「ふるさとの伝説」の著者、小林宮司にお目にかかり道貞物語について、いろいろの話を聴き「ふるさとの伝説」の記載文の一部を転載するお許しを得た。 岡田課長、田村さん、小林宮司さんから聴いた話と「ふるさとの伝説」。さらに同町文化協会発行の「ともしび」第73号に掲載されていた引原八幡神社の宮総代、加納宏教さんが書かれた「引原八幡神社について」の記事を参考に、想像もまじえて「道貞物語」の伝説をつづってみた。
むかし、昔、引原八幡神社の社守として小柄だが力持ちの道貞という若者がいた。道貞は神社の建物を管理するだけではなく、お祭りなどの世話も骨身おしまず努め、地域の人たちに親しまれていた。ある年の秋祭りの時のこと。例年通り弓やお旅の行事があったあと、そのころ大変な人気のあった奉納相撲が始まった。出場するのは地元はもちろんのこと、遠く因幡、但馬などから山越えでやって来た若い力士ら約80人。観客はわんさとつめかけ、土俵の回りを埋めつくしていた。この日は、因幡からやって来た大柄で腕っぷしの強い力士が大活躍。地元の力士らを次ぎ次ぎ投げとばし、最後に土俵の中央に仁王立ち「もう、わしの相手になるもんはおらんのか…」と、大声で何回もどなった。しかし、だれも土俵にあがるものはなかった。
この様子を本殿から見ていた社守の道貞が「ここにおる…」と声高に叫び、素早く境内に建っていた幟竿(のぼりさお)の孟宗竹を引き裂き、これを回しにして土俵にあがった。小柄な道貞を見た因幡の力士は″ニヤリ″と、ほくそ笑んだ。いよいよ勝負。双方見合って立ち上がった。道貞は思い切り低く出て両手で相手の前みつをつかみ、因幡の力士は道貞の背中に手を伸ばして回しをわしずかみした。「危ない、つられる」と思った道貞は、のけぞって因幡の力士を土俵中央にそり返して投げ倒した。「ワァ…」「ワァ…」と地元びいきの観客がどよめき、よろこびの声が、しばらくやまなかった。神助けというか、奇蹟というか、これは道貞の闘魂の賜物(たまもの)。
勝名乗りを受け、再び本殿にもどった道貞はフーフー吐く息は荒く、顔は真っ赤で鬼の面そっくり。これを見た観客の多くが「アーお宮に鬼が出た」と、びっくり仰天して逃げ帰ったという。
田村さんは「親父から道貞は160㌔ほどある昔の桶風呂を湯のはいったまま背負ったとか、それより重いケヤキの原木をかついだとか聞きました。大柄の力士に勝ったのは道貞の怪力だったと思う。」と話されていた。
(2003年11月掲載:山崎文化協会事務局)