(36)宍粟郡『年桶(としおけ)』

 宍粟郡内の家々。とくに山間部の各家庭で、お正月を迎えるのに当たって、新しい年の幸運、家内安全、五穀豊穣などを年神様にお願いする伝統の『年桶(としおけ)』の行事が受け継がれている。
 毎年、繰り返し『年桶』の行事をしていると、おっしゃる波賀町文化協会の大成みちよ会長、山崎郷土研究会の大谷司郎会報部長はじめ、あちこちのお年寄りに年桶行事のことを聞いてみたが、各家庭とも、その内容が少しずつ違っていた。
 大まかにまとめてみると、年の瀬の押し迫った大晦日の12月31日、歴代伝わる直径35㌢前後、高さおよそ30~40㌢の『年桶』を持ち出し、桶の中に米1升2合(約1.8㌔)鏡モチひと重ね、小モチ12個、お金を12の倍数、120円から12,000円程度を入れ、さらにクリ、豆、カキ、ミカンなど、いずれも12個ずつを祝い込む。そのあと桶に新しいシメ飾りを巻き付けて床や神棚におまつりし、サカキ、シダ、ユズリハなど供えて、新しい年の幸運、無病息災など年神様にお願いする。
 1月11日は「年桶おろし」と名づけられた日。桶の中から小モチを取り出して、お雑煮をつくり、年神様にお供えしたあと家族みんなで食べる。そうすれば、その年は丈夫に過ごせるという。同月14日か、15日に行われる地域のトンドの日には桶に入れていた鏡モチをトンドの火で焼き、家に持ち帰ってカキモチを作る。このカキモチは、その年の一番はじめに雷の鳴った日に焼いて食べると年内は落雷など雷の被害を受けないと言い伝えられている。
 千種町の上山明前教育長から届いた年桶についてのお便りや、あちこちのお年寄りから聞いた話などを参考に想像もまじえて『年桶』にかかわる伝説をつづってみた。

 むかし、昔のこと。同郡内の、とある村里に欲深い男の人と親切な男の人が住んでいた。ある年の大晦日(おおみそか)の夕刻。大きくて重そうな桶を背負うた白髪の老人が村里にやって来た。
 老人は、まず最初、たまたま欲深い男の人に出会い「急に大切な所用が出来たので桶をしばらくの間、預かってもらえないでしょうか…」と丁重に頼み込んだ。欲の深い男の人は、もう直ぐお正月を迎えるというのに何がはいっているかわからんような桶を預かることは出来ないと思ってか、「そんなもん、よう預からん。忙しうて困っている時や、さっさと立ち去れ」と、けんもほろろに断った。
 老人は次に直ぐ近くの親切な男の人の家を訪ね「桶が重とうて困っているんです。急ぎの用事が出来たので正月3日まで、この桶を預かって下さいませんか…」と深ぷかと頭をさげて頼んだ。親切な男の人は、こんな年の瀬に大きな桶を背負って用事をするのは大変だろうと思い「預かってあげましょう、何も遠慮することはありませんよ…」と笑顔で答えて桶を預かった。老人は大よろこびで「もしも、正月3日までに私が桶を取りに来なかったら思いのまま処分して下さい」と言い残し、急ぎ足で村里を出ていった。
 親切な男の人は、老人から預かった桶を納戸の奥まで持ち込み、大切に保管した。正月3日が過ぎても老人が桶を取りにこないので、とうとう同月11日の早朝、思い切って桶のフタを開けてみた。ところが、なんとおどろいたことに桶の中には大判、小判が、どっさりはいっていた。親切な男の人は、いっぺんに大金持ちになり、それ以来、幸せいっぱいの暮らしをしたとのこと。そこで、幸運を呼ぶという『年桶』の行事が始まったと言い伝えられている。

     (2003年1月掲載:山崎文化協会事務局)