山崎町葛根の『腰痛地蔵尊』の伝説を同町老人クラブ連合会が平成9年3月発行した「いいつたえ」を参考に想像もまじえてつづってみた。
同町の中心部山崎地区から西へ。切窓峠を越えると同町葛根地区にはいる。県道ばたに立つ腰痛地蔵尊への案内標柱に従って中国自動車道のガード下をくぐり抜けると、すぐに腰痛地蔵尊堂が建っていた。小じんまりした木造のお堂で、奥まったところに体長1㍍余り、やさしいお顔のお地蔵さま。その前に、ご本尊といわれる赤色がかった大きな石(長さ約1.45m・幅約45cm。厚さ約15cm)がおまつりしてあった。供花の前の柱には「赤い大きな石がご本尊です。この石を踏んでからおまいり下さい」と書いた表示板がぶら下がっていた。
むかし、昔のこと。葛根村(現在、葛根自治会)に、いつも“腰が痛い、痛い”と言いながら暮らすお年寄りが住んでいた。毎日、何回となく、うつ伏せになり家族に腰を踏ませて痛みのやわらぐのを望んでいた。しかし、高齢ということもあって腰痛が治ることなく死亡した。お年寄りは息を引き取る前、家族を枕元に集め「私が死んだら平たい石の地蔵さまをつくり、家の近くの田んぼの中を流れる小川に、うつ伏せにして架け、橋にしてくれ。そうすれば橋を踏んで渡ってくれる人たちの腰痛をお地蔵さまが必ず治して下さる」と言い残して他界した。家族は、お年寄りが言った通りのお地蔵さまをつくり、小川にうつ伏せの橋として架けた。
このお地蔵さまの霊験はあらたか。腰痛に悩む人たちが新しいワラ草履(ぞうり)をはいて橋を踏んで渡り、このあと、だれも、その草履をはかないよう鼻緒を切っておくと痛みがすっきりとれると語り継がれている。
数年後のこと。ある村人が「こんなに有り難いお地蔵さまを橋として踏んで渡るのはもったいない」と、お地蔵さまを起こして道ばたに建て、ねんごろにおまつりした。ところが、しばらくすると、この村人が急に腰痛を患い、とうとう動けなくなってしまった。そこで村人たちが寄り寄り相談「お地蔵さまは石の橋として踏んであげた方がよいのではないかー」と、いうことになり、元の小川の橋として架けたとかー。
平成元年、同地区のほ場整備事業が完成。お地蔵さまをおまつりしていた小川(当時、かんがい用水路)の橋付近も改修されたので、地元はじめ近在の有志の人たちが協力して現在地に地蔵尊堂を新築、お地蔵さまをお移ししておまつりしたとのこと。いま、お堂の南北両側には、おまいりした人たちが奉納した小型の白い“のぼり旗”百数十本がずらり立てられている。この“のばり旗”には奉納者の名前が書かれているが、それを見て回ると西播磨の人たちはもとより、遠く東京や千葉県の人の名前があるのにおどろかされた。また、お堂の入口には腰痛地蔵尊の伝記を刻み込んだ石稗が建っているが、その文面の最後の部分に「弘法大師様も船越山への道中、この石橋をふんで祈願されました」と記している。
(2001年5月掲載)