(12)一宮町『狸岩(たぬきいわ)』と『車田地蔵』

 一宮町で昔から語り継がれている「狸岩(たぬきいわ)」や「車田地蔵」の伝説があると聞き、同町伊和、元同町文化協会長の中村長吉さんを訪ねて話を聴き、〝一宮町史″を参考に二つの伝説をつづってみた。

 【狸岩(たぬきいわ)】昔、伊和村に忠兵衛さんという人が住んでいた。忠兵衛さんは、付近の山のことなら何んでも知っている村一番の山男で、住家にほど近い平畑山の中腹、雑木林の中の大岩の下にタヌキが巣を作って棲んでいるのも知っていた。
 ある日、忠兵衛さんは仲間の男二人と「平畑山に棲むタヌキを煙でいぷして巣から追い出し、目寵(めかご)で伏せて生捕りにしよう」と相談。勇躍〝タヌキ狩り″に出かけた。けわしい急坂を目寵をかついで登り、汗だくだくでタヌキの棲む大岩にたどり着いた。ひと休みしたあと、みんなで杉の青葉を集めるなど〝タヌキ狩り″の準備を調えた。元気な忠兵衛さんは率先して集めた杉青葉を大岩の下のタヌキの巣穴に押し込もうとしたが、誤って岩に足をはさまれてしまった。必死に抜こうとしたが、なかなか抜けない。仲間も加わって足をひっ張って抜こうとしたが、どうしても抜けなかった。そこで仲間の一人が山すそに向かって『おーい、助けてくれ』『おーい、だれか来てくれ』と、大声で助けを求めた。その声は北は同町の富土野峠、南は山崎町の最上山まで聞こえたという。忠兵衛さんは、かけつけた多くの村人たちの協力で、足に軽いケガをしだけで助かったそうだが、それ以来、タヌキの棲む大岩を「狸岩」とも「忠兵衛岩」とも呼ぶようになった。

 【車田地蔵】東市場井の口の車田を流れる小川のほとりにブロック囲いの祠(ほこら)があり、中に元禄七年成年(1694年)と刻まれた墓石の上に首のない小さな石のお地蔵さんがおまつりしてある。このお地蔵さんは「車田地蔵」とも「首なし地蔵」ともいわれ、地域の人たちの信仰が厚く、いつもお供え物や供花の絶えたことがない。
 いまから三百余年前、江戸時代、元禄のころ、姫路の若者が、この地の豪農の家に出かせぎに来ていた。真夏のある日、若者は主家の持山へ下刈りに出かけた。広い植林地の下刈りをやっとのことですませた若者は長い柄の〝下刈鎌″をかついで車田あたりまで帰ってきた。ふと立ち止まって小川の中を見ると魚が泳いでいるのが目に入った。若者は、とっさに〝下刈鎌″の長い柄の端で魚をめがけてひと突きした。そのとたん鋭利な鎌の刃が若者の首をかき斬(き)ってしまった。あやまちとはいえ思いもかけぬ自殺行為だった。働きものだったこの若者の冥福を祈って、まつられたのが、このお地蔵さんだという。

 「車田地蔵」といわれるのは、このあたりの田んぼには水車がたくさんあり、地元の人たちが車田と呼んでいたので、その土地の名をとったもの。また「首なし地蔵」というのは、お地蔵さんが造られた当初から首がなかったからだといわれている。
              (1997年11月掲載)

「車田地蔵」