(10)山崎町『天の邪鬼(あまのじゃく)』

落した土砂で出来た丸山(左)と愛宕山

 山崎町蔦沢地区の上ノで、どでかい図体をした悪者『天(あま)の邪鬼(じゃく)』伝説が語り継がれている。「蔦沢の伝説と民話集」を著作した地元の古老、矢野寅之助さん(86)を訪ねて聴いた話を参考に、この伝説をつづってみた。

 大昔のこと。上ノの最奥地の岩上谷に体長が百㍍くらいあり、人の邪魔ばかりする悪者『天の邪鬼』が住んでいた。
 ある時、『天の邪鬼』 が都多の里(現在の蔦沢地区)に住む人たちの迷惑も考えずにこの里を大きな湖にして水遊びを楽しもうと思い立った。思案のあげく同地区内の東下野と中野地域の境で、両側から山が狭っている「足倉」を流れる伊沢川を土砂でせき止め湖をつくることにした。

 数日間、夜を徹して作業をすすめ、途轍(とてつ)もなくでっかい「モッコ」(ワラ縄を網状に編んで、四隅に吊紐(つりひも)をつけて土砂など運ぶ用具)を作りあげ、ものすごく長い 「天秤棒」(てんびんぼう:両端に荷をかけ、中央に肩を当ててになう棒)も用意した。さっそく、岩上谷の山をごっそり掘り起こして土砂を採取。この土砂を「モッコ」に盛り、「天秤棒」で二つ肩にかつぎ〝エッサ・エッサ″と「足倉」に向った。ところが途中、上ノ字小部の谷川沿いで、大きな岩にけつまずき〝バッタリ″と転倒。その拍子にかついでいた土砂を〝ドサッ″と落としてしまった。『天の邪鬼』は、倒れた時の痛さに耐え切れず、作業具も土砂も放ったらかしたまま岩上谷の奥へ帰り、湖づくりもあきらめてしまったので、都多の里の人たちも胸をなでおろしたというもの。
 同地区上ノ上公民館の直ぐ南側の県道ばたに以前、5㍍四方くらいの大きな岩が三つあり、この岩に『天の邪鬼』が、けつまずいて倒れたというので「三つ石」と呼ばれている。そのうちの一つの岩の上に『天の邪鬼』の、でっかい足跡が残っていたそうだが、県道の改良工事で、いまはその姿を消している。大きな「モッコ」に盛った土砂は「三つ石」から数百㍍南まで放り出され、現在の「丸山」と「愛宕山」(いずれも高さ約50㍍)になったという。
 同地区上ノ下の河原山にも『天の邪鬼』が住んでいた。ある時、空海(弘法大師)という偉いお坊さんが、この山へおいでになった。お坊さんは仏法を修業するための寺院を建立する山を探しに来られたのだが、その条件は山の中に一千の谷があるということだった。河原山には当時丁度一千の谷があったが意地の悪い巨人『天の邪鬼』が一つの谷に、ごっそり寝ころんで谷を隠してしまった。お坊さんは何回数えても谷が999しかなく、とうとうあきらめて次の山を探しに行かれ、のちに寺院が建立されたのが和歌山県の高野山だったという。
             (1997年5月掲載)

「三つ石」付近の大岩