西播磨ふるさと写真展作品募集の件

「西播磨文化フェスティバル」第42回西播磨ふるさと写真展作品募集の案内が来ています。
   ・作品受付期間:R04/7/1~7/31
   ・応募資格:どなたでも
   ・募集テーマ:中・西播磨の自然と文化
          (未発表作品に限る)
   (詳細は上記募集要項参照)

2022年6月16日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 管理者

「宍粟市こどもフリマ」で宇原獅子舞奉納

令和4年3月20日(日)に開催される『宍粟市こどもフリーマーケット』にて、宇原獅子舞を奉納します。宍粟市で約150年間継承されてきた宇原獅子舞の「本物の獅子が生きた様に舞う」技法と迫力を是非、ご覧ください。皆様のお越しを心からお待ちしています。

                記

【日時】 令和4年3月20日(日)12:50~16:00

【場所】 学遊館(宍粟市山崎町東下野18番地 )

<宇原獅子舞のご紹介>

宍粟市には、先人達から引き継がれてきた誇るべき伝統芸能や技法が数多くあります。 地域で継承されてきた貴重な獅子舞の中には、5つの宍粟市無形民俗文化財があり、 その一つに宇原獅子舞があります。
私達宇原獅子舞保存会では、宍粟市の伝統の魅力を全国へ発信し、地域の活性化を図りたいとこれまで、新しい時代を切り拓くために挑んできました。その為に超えるべき壁は3つありました。

一つ目の挑戦は、地域を超えた継承者の確保です。これまでは、限られた隣保内での継承者となっていましたが、隣保の枠を超え、継承していただける方は、地域を関係なく喜んで受入れました。

二つ目の挑戦は、性別の壁です。昔から女性は宇原獅子舞に関わる事ができませんでした。平成29年10月に、初めて女性が獅子をまわし、新聞等各種メディアに大きく取り上げられました。

三つ目の挑戦は、伝統を活かした別ジャンルとの融合です。令和3年5月、宍粟市観光大使でメジャーバンドバンブーリリーと伝統技法とロック音楽を融合したコラボ企画に挑みました。宇原獅子舞を例年奉納している「宇原岩田神社」の境内で松明を焚き、多くの方々の支援を得ながら、臨場感のあるステージで、共演を果たしました。
▶ 動画はこちら https://youtu.be/ejp6aPxP-Ss

「宍粟市こどもフリーマーケット」のご案内
宇原獅子舞12演目の1つ「梯子獅子」

宇原獅子舞では、今後も子供たちが誇れる宍粟市の新しい時代を切り拓くために、先人たちの想いと伝統技法の継承に努めながら、挑戦していきたいと考えています。そして、コロナ禍で不安な状況から笑顔と元気を取り戻せますように、この度の「宍粟市こどもフリーマーケット」でも、皆さまのご期待に応えれる獅子舞を奉納いたします。

宇原獅子舞保存会公式ウェブサイト|兵庫県宍粟市 伝統芸能 毛獅子 (uharashishimai.com)

【ご参考】2021年度宍粟学講座のご案内

会 場:宍粟防災センター5階ホール
時 間:14時~15時30分
定 員:先着50名
受講料:無料
テーマ:(6月5日) 「西播磨の中世武家と家紋~宇野氏を中心に~」***【緊急事態宣言延長により中止となりました】
    (8月21日)「古文書からみた宍粟のたたら製鉄」
    (10月2日)「風水害から古文書を救う」
    (11月20日)「長水城と戦国時代の宍粟」
    (R4/2月5日)「西播磨の伝統芸能」
問合わせ先:宍粟市教育委員会 社会教育文化財課
      TEL:0790-63-3117
     →(詳細)

2021年5月25日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 事務局M

「西播磨文化」第43号が発行されました。

西播磨文化 No.43

宍粟市文化協会前会長、福岡久蔵氏の「ともしびの賞」受賞の紹介記事。

宍粟市文化協会の活動紹介:今回の担当は波賀文化協会です。

また、前号より始まった「郷土の文化人」コーナー(揖保川水系)は宍粟市文化協会(山崎文化協会)から「福原謙七」を掲載。執筆は「やまさき文化」No.38で同氏を紹介いただいた鎌田裕明様にお願いしました。

2021年3月8日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 事務局M

「第41回春の芸能祭」の開催中止

掲題、毎年御出演の皆様からのご意見、そして現段階の新型コロナ感染拡大状況を鑑み、令和3年5月16日の開催は中止させていただくこととなりました。何卒、ご理解賜りますようお願いいたします。

②山崎町 上寺 『妙勝寺の夜泣き石』

夜泣霊碑

 山崎町上寺、法光山、妙勝寺の表山門をくぐり、本堂に向かって左側の庭を見ると「夜泣霊碑」と刻み込まれた石碑がたっている。高さ、およそ1.8m、幅30cmほどの細長いもの。横から眺めると、わずかな反りがあり、もと、石の橋として使われていたものだと推測できる。この石が江戸時代末期、山崎城下の人びとをさわがせた「夜泣き石」だといわれる。
 同寺、住職の大岩祥峰さんは、この「夜泣き石」について『史実にもとづくものではありません。あくまで伝説です。この伝説にも、いろいろの説があるんですが…』と前置きして次のような話をしてくださった。

 江戸時代も終わりに近いころ。赤穂藩士の娘が、ある山崎藩士の元へ行儀見習いに来ていた。絶世の美人で、たちまち町の評判になり「赤穂小町」といわれるようになった。この美しい娘に思いをよせる若者たちは多く、なかに、しつこく言いよる山崎藩の若者もいた。しかし、娘は、すでに赤穂に恋人がいたので、だれにも、よい返事はしなかった。

 ある、おぼろ月の夜。この娘が山崎城下を流れる小川に架かっている石橋の上で殺された。評判の「赤穂小町殺人事件」とあって、城下は大さわぎ。『だれが』『なぜ殺したんだろう』など、うわさにうわさをよんだ。なかに、しつこく言いよっていた山崎藩士の若者の仕業だろうという人もあったが、はっきりとしたことは、わからずじまい。
 娘の死顔は、あまりにも可憐で美しかったので、世間の人びとは、その死を、ことのほかあわれんだ。殺人事件のあった日から娘の怨念が石橋に、のりうつったものか、夜になると石が「赤穂へいのう。赤穂へいのう。」と悲しい声で泣きだした。町の人たちは、気味悪がって、だれも、この石橋を通らなくなってしまった。やがて、だれ言うとなく、この石橋を「夜泣石」というようになった。

 城主は「縁起のよくない石橋」というので家来に命じて新しい石橋に架け替えさせた。そうして、元の石橋は地元へ下げ渡した。町の人たちは殿さまから下げ渡された石橋だったが 「不浄の石橋を使って、たたりでもあっては大変だ」と、その取り扱いに困りはてた。恩案のあげく石橋を近くのお寺に持ち込み、墓場の竹やぶの中に置いた。しかし「赤穂へいのう。赤穂へいのう」との夜泣きは止むことなく続いた。
 当時、妙勝寺は、いまの鹿沢、天理教会東側にあったが、建物のいたみがひどく、この寺をつぶして上寺の方へ新しく建てなおすことになった。「寺が建つのなら石橋を石材として使ってもらったら娘のたたりもなくなるだろう」と、いうことになり、新しい寺の敷地に「夜泣き石」を運んだ。そこで、時の山主、要妙院日解上人が、この「夜泣き石」を寺内の庭に安置し「夜泣霊稗」として、ねんごろに供養して菩提をとむらった。それ以来、法華経の功徳をうけ「赤穂へいのう。赤穂へいのう」の夜泣きが止んだという。

大岩さんは、いまも毎年、春秋の彼岸とお盆には、かかさず「夜泣霊碑」の前に、お花をたて、ねんごろに供養している。
     (1995年12月掲載)

法光山妙勝寺
2021年1月1日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : 管理者