(45)千種町『面白い昔話』

 「笑いながら暑さを忘れさせてくれるような面白い昔話が、あるかいなあ…」と思い、いろいろと調べをすすめていたところ、千種町内で、ものすごく大きな屁(へ)をぶっ放す『屁こき嫁』や三百八十歳を越える老翁『千草仙人』という、いまでは「ほんまかいなあ…」と驚かされるような話が語り継がれていることが判った。
 さっそく、同町岩野辺、在住の郷土のことに詳しい同町の前教育長、上山明さん宅を訪間し、昔話を拝聴。このあと同宅の直ぐ前。濃い緑の木立に包まれた庭の中にある『千草仙人』のものと伝えられるお墓へ案内していただいた。自然石の小じんまりしたお墓で、きれいな花と水がお供えしてあった。上山さんの奥様、桂子さんが、かかさずお墓にお参り。掃除やお供えを続けておられるようだった。
 上山さんから聴いた話と昭和47年、兵庫県教育委員会発行の民俗資料報告『千種』を参考に想像をまじえて二つの昔話をつづってみた。

 「屁こき嫁」

 むかし、昔のこと。ある山里の大家の息子がお嫁さんを貰った。お嫁さんは、すごい別嬪(べっぴん)。そのうえ働きものだった。しかし、一つだけ困ったことがあった。というのは ″プーウー・プーウー″ よく屁をこくことだった。お嫁さん自身も屁をこくことについては、ちょっぴり気兼しているようだった。そこで婿さんが気を利かせて、お嫁さんのお尻に大きな分厚い紙を貼り付けて屁が出にくいようにしてやった。その日、お嫁さんは屁をこかず、別になんということもなかった。だが、二日後のこと。お嫁さんの顔が真っ青。すごく、しんどそうだった。その姿を見た姑さんが心配して、お嫁さんに「どないしたんや…。どこぞが悪いんとちがうか…」と尋ねた。お嫁さんは言いにくそうに「お腹にガスがたまって苦しんです…」と答えた。姑さんは「かわいそうに…」と、いいながらお嫁さんの尻に貼ってあった大きな紙を剥がしてやった。その途端″ブーウー・ブーウー″と法螺貝(ほらがい)を精いっぱい吹いたような大音響と同時に屁による、すごい突風が起き、家の障子や天井が破れるわ、姑さんは庭までぶっ飛ばされるわ。家じゅう大さわぎになった。
 そこで姑さんが「いい嫁だが、なんぼなんでも、あんな恐ろしい屁をこくもんは家におくわけにはいかん…」と言いだし、お嫁さんは実家へ帰されることになった。次の日、お嫁さんは力の強い若者に荷物を持ってもらい里へ向かった。急ぎ足で歩いているうち、ある村里近くの道端で若者が枝もたわわに実った柿の木を見つけ「喉(のど)が渇いたので。あのカキが食いたいなあ…」と独りごとをいうた。すると、お嫁さんは 「私が採ってあげましょう…」 と大きなお尻を柿の木の方に向け一発、屁をぶっ放した、″ブーウー″という轟音、すごい突風。柿の実はバラ、バラ落ちた。若者は、思いもかけぬ音と風の強さに、びっくり。腰をぬかしたが、しばらくすると気をとりもどし「うまい、うまい…」と言いながら甘いカキを何個も食べて大喜び。お嫁さんの豪快な屁に大いに感謝したという。

「屁こき嫁」

「千草仙人」

 いまから1200余年も前の延歴2年(783年)春のこと。時の大領、春日部羽振のもとへ山里の人から「千草、岩野辺の大山(おおやま)に稀代の老翁が住んでいる」との注進があった。大領は老翁に出来るだけ早く館に来るように伝達した。数日後、老翁が館へやって来た。
 老翁は背高7尺5寸(約2.3㍍)の大男。1丈2尺(約3.6㍍)もある鉄棒と9尺(約2.7㍍)の柄のマサカリを持った勇ましい姿だった。
 そして「わしは千草の住人、山伏太夫小関の子で幼名は″小春″といっていた。十三歳のとき天狗にさらわれ、険しい山の中で暮らしているうち天狗から″われに仕えし返礼じゃ…″と言うて長命をさずかった。その後、380歳を経て山から高原に移住。修行して不老不死の術を身につけた。常食は″松のみどり″。毎日2斗(約36㍑)の水を飲んでいる」と語った。大領は、すごい長命と元気な姿に仰天したそうだ。
      (2004年7月掲載:山崎文化協会)

千草仙人のものと伝えられる墓