(43)木谷『乳神様(ちちがみさま)』

 平成9年3月、山崎町老人クラブ連合会が発行した「いいつたえ」と題する小冊子を読んでいたところ同町木谷の山の中に、おまつりしてある“乳神様(ちちかみさま)”の伝説のことが掲載され、最後尾に出典 木谷一老人と記されていた。さっそく地域のことに詳しい同町教育委員会の大西耕雲教育長を訪ね、この伝説についての色々の話を聞き、後日、ご無理を申しあげて伝説の現地へも案内していただいた。
 同町中心部、鹿沢の町役場庁舎前を出発。同町と佐用郡南光町を繋ぐ県道を西方へ約1.5㌔。菅野川に架かる木谷橋の西詰めを左折して町道と林道を通って約1㌔行ったところに “乳神様” が、おまつりされていた。谷川沿いにご神体ともいわれる大きな岩石(磐座=いわくら)がどっしり。その前に小さな祠(ほこら)があり、谷川を挟んで昭和29年改築されたという祈願所が建立されていた。付近は深い森に囲まれ、古木もあって神秘的な環境が描き出されていた。
 大西教育長はじめ同町内のお年寄りに聞いた話と「いいつたえ」の小冊子を参考に想像もまじえて “乳神様” の伝説をつづってみた。

 いまから2百数十年前、江戸時代のこと。村里の数人の若者たちが、住居の直ぐ西方にある山地の探索をした。古木や雑木の生い茂げる険しい山の中を汗だくだくになりながら、あちこち歩き回っているうち山肌を縫うて流れる谷川の源流近くで8~10㍍四方もあろうかと思われる巨大な岩石を見つけた。岩石の割れ目からは母乳のような淡い白色の液が流れ出ていた。びっくりした若者たちは急いで村里に帰り、古老たちに巨岩の話をしたところ「その大岩石には、きっと神様が鎮座されている」とのことだった。そこで古老たちが主体となって村をあげての集会を開いて相談。みんなが力を合わせ懇(ねんご)ろにろに神様をおまつりすることを決めた。さっそく吉日を選んで奉仕作業を始め、約2ヵ月がかりで巨岩の前に祠と祈願所を建立。1㌔余もある参道もつくった。
 完成のお祝いの日には村人たちが巨岩の前にずらり並び、いっせいに両手を合わせて無病息災を祈願した。その中の一人。かわいい男の子を出産したが、お乳の出がよくない若妻は、無病息災と合わせて「お乳がたくさん出ますように‥」と、心を込めてお願いした。すると、その日からあふれるほど十分お乳が出るようになった。若妻はもちろんのこと、家族みんなも大喜び。直ぐに神様へのお礼まいりをし、お米と子どもを型どった紙人形をお供えした。
 若妻が神様からお乳を授かったことが口伝えで地元はもとより播州各地にも広がり、日を追うて遠方からも、お乳の出のよくないお母さんたちの参詣が続き、いつとはなしに “乳神様” として崇敬されるようになったという。
 「いいつたえ」の小冊子によると『 “乳神様” にお参りするときのお供えは「お米」「ワラに木炭を包んださげもの」「子どもを型どった紙人形」「十二支の絵馬」が多かった。その意味は、木炭は汚れのない身と心。紙人形は子ども。絵馬は子どもの生まれ年を表わしたものではなかろうかー。お参りの仕方については道中、出会った人と話をしてはいけない、帰る途中、後を振り返ってはならない』=要旨=などと記載されている。
 古老たちの話によると「ずうーと以前は、いまのように乳児用専門の飲み物が手軽に買えることがなく、お乳の出のよくないお母さんたちは乳母を捜して「もらい乳」をしたり、水の量を多くしてお米を炊き上澄みの糊状の汁「重湯(おもゆ)」をつくって赤ちゃんに吸わせるなど子育てには大変苦労をしていた。それだけに神様からお乳を授かった喜びは大きかったのではないか…」とのこと。
      (2004年3月掲載)

“乳神様”の祈願所