⑦山崎町 小茅野 『紅葉(もみじ)橋』

モミジの大木に囲まれた「紅葉橋」

 山崎町小茅野の「紅葉(もみじ)橋」は、同町内で指折り数える名所の一つ。モミジの大木が並ぶ谷間の渓流に長さ8.5m、幅2m、朱塗りの小さな木橋が架かっており、欄干(らんかん)の親柱には黒字で「紅葉橋」と刻み込まれている。この付近一帯は森林に囲まれ、春の新緑、夏の涼感、冬の雪景色もきれいだが、とくに秋の紅葉は素晴らしい。古謡に「山がなれど、小茅野の名所、音に名高い紅葉橋」と、うたわれている。
 この「紅葉橋」には、同町の高峰、長水山頂に築かれていた長水城の落城にまつわる伝説があり、同町上ノ上、矢野寅之助さんによる「蔦沢の伝説と民話集」と「山崎町史」を参考に「紅葉橋伝説」をつづってみた。

 いまから416年も前の天正八年(1580年)の5月。毛利方に組みしていた長水城が羽柴秀吉の軍勢に攻められ激戦の末、落城した。時の城主、宇野政頼ら城兵は夜陰にまぎれて長水山から脱出。毛利の属城、美作小原、竹山城の新免宗貫をたよって逃げた。この中に、わずかの家来に守られて美作へ向かう政頼の美しいお姫様もいた。
 お姫様らは同町上ノから険しい白口峠の山道を急ぎ、やっとのことで小茅野の入口に当たる、いまの「紅葉橋」のある渓流東岸にたどり着いた。しかし、降り続いた雨のため川が氾濫。西岸へ渡れるような状態でなかった。追手は近いし、川は渡れないとあって、お姫様も家来たちも途方にくれるばかり。お姫様の運命も、これまでかと思われた。
 その時、突然、西岸に立つモミジの大木が大きな音をたてて東岸に倒れかかり氾濫した渓流にモミジの橋が架かった。お姫様らは「神仏の助け」と、喜び勇んでモミジの橋を渡って西岸へ着いた。不思議なことにお姫様らが橋を渡り終えるとモミジの大木は再び大きな音をたてて元の姿にもどった。これで追手からも逃(のが)れられるとひと安心。お姫様はモミジの大木に深々と頭を下げ「なにもございませんが、せめてものお礼に……」と母から譲りうけた家宝の鼓(つづみ)をモミジの枝にかけた。このあとお姫様は美作へ向け急いだが途中、千種町の鷹巣で病に倒れて亡くなってしまった。お姫様から立派な鼓をいただいたモミジの大木は、それ以来、鼓によく似た実を付け、お姫様をしのんだとも伝えられる。

 「山崎町史」による長水軍記には、長水山から脱出した政頼らは美作小原の新免氏を頼るべく、小茅野から鷹巣を経て千草に到着したが、ここにも秀吉方の追撃軍が充満しており、再び激戦の末、ついに力尽きて千草字大森で一族が自刃し、同行の諸将もこれに殉じた。
 現在、大森の段には政頼ら四基の五輪塔と家臣の名を刻んだ板碑が建っており、ここが最期の地としていると、概ね以上のようなことが記載されている。
          (1996年11月掲載)

欄干の親柱